ここについて、私も昨日の補足をば。
『砂の器』の映画版ですが、 音楽監督は芥川也寸志、作中で使われている「宿命」という曲の 作曲は菅野光亮だそうです。
「あるべき芸術についての松本清張の立場を具現化したもの」 ということはさすがにないと思いますが……。
余談ながら、 野嵜・高橋論争を読むと、自分が支離滅裂な人間だなどと批判されている ような気がしてきていやーんな感じです。
Z3ですか。能澤徹『コンピュータの発明』の139ページあたりから Z3についての詳しい説明があります。
これによると、
で、命令のうち、先頭2ビットが11ならload、 10ならstore、それ以外は演算とIOだったそうです。 しかし、分岐命令がなかったそう(ループは紙テープをわっかにして 実現していたらしい?)なので、コンパイラはどーしたって作れない と思います。
そういえばこれの感想をちゃんと書いてませんでした。
舞台は1920年代。主人公はアメリカはニューヨークの下町で暮らしていた ヤンキースファンの女の子、セリア・テルフォード。 父親に続いて母親も亡くなり、孤児になってしまったと思いきや、 父方の祖父が大金持ちの貴族だったとわかり、さらに彼の遺産と お屋敷を引き継ぐ事になったため、 若き執事ロドニー・ファインタックに連れられて、 急遽イギリスへ……というわけで、 イギリスお屋敷ホームコメディ、メイドものならぬ執事物、なのです。
このシリーズのよいところは、主人公のセリアがちゃんと 自分の立場、すなわちテルフォード家の主人という役割を積極的に 引き受けようとするところですね。これは第一巻の真ん中あたり、
「ロドニー、答えて。この家の今の主は誰?」
という台詞とともに、高らかに宣言されます。 こういう気高い女の子は好きさ(<単なる私の趣味)。
とはいえ、シリーズ最初でこうやって方向性を 決めてしまうのも良し悪しかもしれません。 ああっと、期待通りのセリアとロドニーのすれ違いっぷりは、 お約束なので、お約束です(<やや投げやり。まあ、ほんとにお約束ですから)。