ただ、風のために。6 (2003/October)

RETURN / TOP
Generated by nDiary version 0.9.3

2003/10/25 (Sat)

今週

は、やたらと忙しい一週間でした。

何よりも鈴木祥子のライブに行けなかったのがショックだ。

日本Rubyの会

会則のドラフトを書いてみたり。たたたのしすぎる……。

深堀骨と高橋源一郎

「現代詩手帖特集版 高橋源一郎」を買いました。

確か高校生のころ、「虹の彼方に」を読んで、すごく楽しかったのを おぼえています。内容なんて実のところよく分からないところが多かったのですが、 内容が分からなくてもなんだか楽しめる、いや、いわゆる「内容」とは違う 「内容」というのがあって、それの「楽しさ」というものもあるんだと知りました。

そんな小説を書く作家は、それほどの数は必要とされていないのかも しれません。読むのもたいへんそうですし。 でも、同時代に一人か二人かはいつもいてほしい、と思います。 私は80年代末に、高橋源一郎が同時代に読めて幸せでした。

深堀骨の立ち位置は、なんとなく高橋源一郎を想起させます。作品の傾向も 語り口もまったく異なるのですが、「わからなさ」と「たのしさ」の バランスが似ているように感じます。 さらに、小説をたのしめる読者は少なそうだけど、評論というかエッセイの方を たのしめる読者は多そうにみえるところも、なんだかそっくりです。

そういう意味では、00年代のエンターテインメント読者は幸せだと言えましょう。 なんせ深堀骨が同時代で読めるのですから。

そんなわけで、今日は深堀さんの出版おめでとう宴会に行ってきます。

「「個性」も「(責任とセットの)自由」も、成長をさまたげる障害なんです。」

漂流教室(googleから検索できなくなったらしいのでリンクしてみる)の 漂流日誌(10月23日)の相馬のコメントより。

いい加減気づきましょう。「個性」も「(責任とセットの)自由」も、成長をさまたげる障害なんです。 「個性」を、「自由」を口にするたび、人は自分のいたらなさを誤魔化し、可能性を狭めてるんです。 どうか、そんなものは捨てちまってください。それがこの長い話の結論です。

最後のこの「結論」はいいなあと思うんですが、その前段の「身の丈」は あんまり関係ないんでわ。「携帯の必要性」とか言い出すと、 「ちょっと前のひとは携帯なしでも云々」とかいう話になって、 高校生かどうかは問わず、本当に携帯が必要なのは? とかいう話に 脱線する元になってしまうでしょう。

というか、そもそも制服も携帯も関係なく、 単に「その言い訳」の問題のようなので、 延々と「理由」を説明してあげなくてもいいような。

件の高校生については、「何がいけないか」みたいなことを 他人に聞いている時点でそもそも駄目でしょうね。 制服を着崩したり携帯を持ち込んだりすることで不平不満を持つ(相馬みたいな)人に対して、 説明するなり、なだめるなり、つっぱねるなりする、 つまりは主体的に交渉/応対をすることが、まさに「責任」をとるというやつで、 そーゆー発想がないから行動の自由を制限されてしまうのでしょう。





written by TAKAHASHI 'Maki' Masayoshi (maki@rubycolor.org)
RETURN / TOP