=begin = CVS化するGeek Space【ヲタ空間】 (準備稿) $Id: cvs.rd,v 1.1 2002/07/10 20:18:08 maki Exp maki $ == 工学的観点から 東浩紀『動物化するポストモダン』[AH2001]は、 オタクとその文化の変容について書かれた本です。 東さんのオタク論は大塚英志『物語消費論』に多くを負っています。 大塚さんは『物語消費』の概念を提示していますが、 東さんの方は、90年代以降のオタクの変容が『物語消費』から 『データベース消費』への以降に起因している、と指摘します。 そしてその変化の理由として、 『大きな物語の不在』を挙げています。 しかし、このような社会的な情況を原因とする議論は、 その論拠があいまいになりがちです。 本当に『大きな物語の不在』が原因となっているのか。 仮に原因となっていたにせよ、別の原因はないのか。 あったとするならば、それら複数の原因それぞれの寄与はどの程度なのか。 ――こういった問いに納得のいく答えを返すのは、 簡単なことではありません。 もちろん、これは何も東さんの実証性が不十分だ、というわけでは ありません。それよりも、東さんの、そして多くの文化論の寄って 立つ方法論に由来するものだと考えた方が賢明でしょう。 とはいえ、何かしらの居心地の悪さを覚えてしまうのも事実です。 ところで、東さんが着目しているキーワードの一つに「工学」があります。 この工学は「○○工学」といった名前で総称される、 いわゆる工学とは微妙に異なっているようです。彼の議論をやや乱暴に 要約してみるならば、その「工学」とは、 「〈操作対象となりうるもの〉を思考の基盤とする」、 そして「〈操作対象となりえないもの〉に対しては、それを 〈操作対象となりうるもの〉とする」という思考形式を指して いるように見えます。 東さんは、この「工学」的な思考こそが、現在を考えるうえで 無視できないとしています。 このような「工学的」な視点からの分析としては、 レッシグ『CODE』([LL2001])で行われているものがよく知られています。 レッシグは『CODE』の中で、「法」「市場」「規範」「アーキテクチャ」の 4つを挙げていますが、その中でも 「アーキテクチャ」に一番の重きを置いています。 この「アーキテクチャ」こそは、まさに「工学」の舞台。 もちろん、アーキテクチャ上の制約が純粋に物理的・化学的なもので あったりする場合、これを「工学」を使ってどうこうすることは限界が 多々あります。 工学と言えども、物理法則を改変することはできないのですから。 とはいえ、そのような部分を除いた、「工学」の力によって変化させられる 部分の占める割合は、工学が発展するにつれ、徐々に広がり続けています。 『動物化するポストモダン』での議論の土台となっている 「オタク系文化」は、この「アーキテクチャ」による制約が 非常に大きく効いているジャンルと言っていいでしょう。 岡田斗司夫さんは『オタク学入門』で、オタクの発生の原因を 「テレビの普及」、そしてその進化した形である「近代オタク」 の原因を「ビデオの登場」だとしています[OT2000]。この記述からも わかるように、オタク系文化は、その起源からしてテクノロジーによる アーキテクチャ(の変化)に影響を受けています。 そして、その傾向は現在に至るまで続いていると考えるべきでしょう。 そこで本稿では、オタク系文化の変容を捉えるための方法論として、 そのオタク系文化を形作ってきたアーキテクチャを 中心とすることを採用してみることにします。 この方法論の違いにより、『動物化するポストモダン』によって 垣間見えたオタク系文化とは、 微妙に異なる風景が得られることでしょう。 もっとも、すでに述べたように、工学的な観点の重要性を主張しているのは 東さん自身に他なりません。よって、本稿は東さんに対する反論には なっていませんし、なるつもりもありません。筆者の目論見としては、 東さんの二つのスタンスを架橋するという意味で、「東浩紀的」な 議論を行っているにすぎないつもりです。 == 80年代以降の文化的インフラストラクチャー 90年代以降、私たちの文化のためのインフラストラクチャーは大きく 変化しています。 東さんも『動物化』の中で、インターネットや秋葉原について触れていますが、 これらを含めて、もう少し包括的に見てみましょう。 本稿では便宜的に、文化的インフラストラクチャーを 「流通」「生産」「蓄積」の3つに分けることにします。 インターネットと秋葉原は、どちらも「流通」に関わるものですが、 流通を変容させたものはこの二つだけではありません。また、「流通」だけ ではなく、流通させるためのモノを用意するためのアーキテクチャ、 そして流通したものを保存・蓄積するためのアーキテクチャの 変化も合わせて考える必要があるでしょう。これらが揃って、 始めてインフラストラクチャーの現在形を知ることができるのです。 === 流通 まず、取り上げるべきはパソコン通信・インターネットです。 今さら改めて言うまでもなく、パソコン通信(商用BBS)・インターネットは 私たちの文化を激変させました。 ファイル化された創作物にしろ、または情報交換のための媒体にしろ、 このようなものを安価かつ高速に配布することは、 ネットワークなしでは実現できなかったと言えるでしょう。 日本におけるインターネットの普及は90年代半ばから始まりましたが、 当初はメールがその中心になっていました。趣味的な情報の一部には ネットニュースが使われていましたが、それに比べると パソコン通信におけるBBSでの交流の方が、量的にも質的にも活発でした。 しかし、WWWの発達につれ、パソコン通信からインターネットへの シフトが徐々に行われるようになり、21世紀に入ってからは、 ほぼインターネットが独占しているような状況になっています。 インターネットは、電子的な「作品」を配布できたことは言うまでも ありませんが、作品に関する情報、一種の「メタ情報」を流通させる ことができたことも、無視できません。 とはいえ、非電子的な実体を伴なった物を配布することは、 ネットではできません。そのための媒体としては、 同人誌即売会・イベントが挙げられます。 現在では、『コミックマーケット』に代表される 巨大なイベントから、特定ジャンル・作品ファンによる、 いわゆる「オンリーイベント」まで、各種イベントが盛んに 行われるようになっています。 # 規模とその変遷のデータは? 同人誌即売会の機能としては、「同人作品」の流通の場であるとともに、 「同人作品」の存在そのものをアピールする場、 また同人作品を作る人々同士のコミュニケートを行う場としての 機能が重要です。 これらに加えて、90年代後半に入り、「秋葉原」という街そのものが急速に オタク化していきます。 秋葉原の構成要素は「店舗」です。電気店街として発達してきた 秋葉原は、90年代半ばにはパソコンの街となり、各種パソコン ショップやソフトショップ、パーツ販売店などでひしめいて いたが、2000年頃からは同人誌やゲームなどを扱う店が 増えてきました。 秋葉原がネットやイベントと異なる点としては、全面的な商業性にあります。 秋葉は原則として商業の場であり、そこで売買されるのは文字通り「商品」です。 大量にかつ安定して作品を提供し続けるには、商業の力が なければたちゆかなくなることは明らかです。また、 大量にかつ安定して提供する価値のある作品は それは商業的にも魅力的な素材として注目されるでしょう。 それは作品にとっても商業にとっても、互いに益のあるところかも しれません。 === 創作 変化したのは流通だけではありません。 同人誌(文章・イラスト)やグッズ、(静止画・動画を含めた) ソフトウェアの形で配布される創作物を作るための手段も 急速に進化を遂げてきました。 その一つとして、たとえば「コピー機の普及」があります。 多種にわたる同人作品の中で、その先駆的存在となったのは 「同人誌」でしょう。そもそも「同人」という用語自体、 主に文芸方面で使われてきた「同人誌」という言葉から 派生したものと考えられます。 その同人誌を製作する過程において、コピー機は 縦横無尽にその威力を発揮してきました。 無料配布のペーパーの作成からオフセット製作の同人誌の 版下の作成まで、幅広い分野での活躍は、デジタル化が進展する前 はもちろん、現在に至るまでも、同人の創作手段を底辺で支えてきた 技術と言えるでしょう。 * ワープロ、パソコンの普及 * 同人向け印刷所の定着 * 各種映像機器の普及 === 蓄積 80年代以降の蓄積手段の変容については、大きく 「電気的蓄積からデジタルな蓄積へ」という方向性を見い出す ことができます。 蓄積方法としてデジタルなものが好まれるのは、 デジタルな蓄積は原理的に劣化の影響をほとんどうけないためです。 もちろん、これは不正な複製を招く危険も兼ね備えてしまっています。 しかしながら、ある意味「法規」によるコントロールの影響を あまり受けていない同人文化においては、不正な複製に対する 危機感は、全体としてはさほど大きくありません。 創作の媒体としてデジタルなものが使われるようになれば、それは そのまま蓄積にも影響を与えます。 * 電気的蓄積 * デジタルな蓄積 さらにデジタルな蓄積は、「保存装置としてのインターネット」を 作りあげました。xDSL等の高速回線の普及とGoogleに代表される 大規模な検索エンジンにより、インターネットを 外部化された保存装置として、必要な時にのみ情報を取り出して 使う、といった形の利用が可能になってきています。 == 差分(patch)とCVS(Concurrent Version Control) 今まで述べてきたようなインフラストラクチャーの変化によって、 私たちをとりまく文化にも変化がもたらされつつあります。 このような変化を記述するには、それなりの語彙が求められます。 『動物化』では、そのような語彙セットとして、思想的(?)なそれが 用いられていました。「動物化」という用語自体もその一つだと 言えるでしょう。 これに対して本稿では、主にフリーソフトウェアの開発で用いられている 語彙セットを転用したいと考えています。理由は三つあります。 一つは筆者がフリーソフトウェア開発の文化圏に親しんでいるという 個人的な事情によるものですが、それ以外にも、 フリーソフトウェア開発と同人的な文化にはある種の親和性がある ということ、そしてソフトウェア開発における語彙セットが 質、量ともに充実したものである、ということです。 この中で特に重要なのは、「差分」という用語と、 「CVS」(あるいはVCS、Version Control System)というソフトウェアに よる開発モデルです。 そこでこの章では、 現在のフリーソフトウェアを取り巻く技術を、CVSを中心に解説します。 議論としては回り道になりますが、フリーソフトウェアの技術に ついて知っておくことは、無駄にはならないでしょう。 また、最後にライセンスについて、特に「コピーレフト」という 考え方とその具体化であるGPL、 そしてコピーレフトではないライセンスとしての BSD風ライセンスについて触れます。後者については、 具体的なBSDのライセンスというより、 ApacheのライセンスやXのライセンスもひっくるめた形での、 BSD「風」のライセンスのことです。この二つのライセンスの 違いは、「自由」というものに対する考え方の違いから来るのですが、 同時にその派生物のコントロールにも影響を与えます。 二次的な創作を行う人たちには、そのような二通りのコントロールが あるということを知っておくとよいでしょう。そうすれば、 自分たちの創作物(の派生)をどのようにコントロールするか、 そのようなことを考えることもできると思います。 === フリーソフトウェア開発のテクノロジー === 差分とは === CVSとは === 二つのライセンス ==== コピーレフトとGPL ==== もう一つのライセンス: BSD == CVS化するgeek space 前章で説明したフリーソフトウェアの開発モデルを元に、 もう一度私たちの文化的インフラストラクチャーを考えてみます。 === 差分創作 私たちは、そのような「一次的な著作物に依存し、 単独では『作品』としての独立性を欠く『二次創作』」のことを、 「差分創作」と呼ぶことにします。 これは、例えば翻訳や翻案のような、通常「二次的創作物」に 括られるものは含みません。なぜなら、翻訳作品や翻案作品は、 オリジナリティの問題はさておき、その成果物は成果物単体で 楽しむことができるという意味で、独立した「作品」になっている からです。 差分創作が可能になるためには、 * オリジナル作品が広範囲に流通している * 差分創作作品群を(ある程度の規模で)容易に製作・流通できる という技術的要件があります。これは創作をめぐる意識や社会の問題ではなく、 単純に文化的インフラストラクチャーの問題です。 そして、このような製作・流通に関するインフラストラクチャーが充実しない限り、 差分創作が活性化することはありません。 これが、この20年で差分創作が私たちの周囲にあふれるようになった その原因である、そう私は考えています。 フリーソフトウェアについても、差分を書くことで開発に コミットできる、ということは、開発者人口を広げることにも 寄与してきました。広く使われるようなソフトウェアを 一から自力で開発し、そして開発し続けることは、誰もができる ことではありません。 それは技術的な理由もさることながら、 使用者が増えるにつれてコストが増えていく管理の問題や、 モチベーションの問題によるものです。 そうであるなら、メイン開発者として活躍するつもりのない者も、 気軽に参加できる形態がある、というのは大きな利点でしょう。 === 「main trunk」というコントロール # 自由なシミュラクラの氾濫、という図式の否定。 差分創作が盛んになったとしても、差分ではない、全体的な 創作物に対するコントロールが弱くなることはありません。 もちろん、分岐することがないわけではありません。しかし、 それは大変な痛みを伴います。 そのため、多くの心ある開発者たちは、分岐せずにすませるべく 苦心します。 == おわりに === 差分創作はCOMMONSたりえるか 私たちの文化の目指すべき道の一つに、再利用(= 差分創作の派生)を 前提とした文化の興隆があります。 これは、レッシグらが進める「Creative Commons」の 発想に近いものです。 COMMONSとして成熟するためには、いくつものハードルがあります。 * 再利用を明示的に許諾する手法 フリーソフトウェアの文化では、「ライセンス」という形で、 自由な素材を利用した二次的派生物も自由でなければならないと するコピーレフト的な考え方と、自由でない形の派生物にも利用を 認める考え方とに大別されます。 前者についてはGPLが、後者についてはBSD風のライセンスが 広く使われています。 差分創作の文化を強力にCOMMONS化するには、GPL的なライセンスも 必要かもしれません。そうすれば、派生物を配布する場合、強制的に GPLを使わせることができるためです。 一方で、商業作品との連携を考えるのであれば、 現状ではBSD風ライセンスを使う方がよいかもしれません。 商業の舞台では、紙媒体全般やアニメその他の映像媒体においては 複製を禁止するための非常に強力なコントロールがあります。 差分創作物を合法的に配布することはほぼ困難と考えていいでしょう。 一方、ゲーム(とりわけエロゲ)に関しては、オリジナルの素材を そのまま利用することはできなくとも、直接「引用」するものではなければ 再利用することを許しています。この業界による温度差は 非常に興味深いものがあります。 しかし、もっと重要なことは、差分創作を行う側の著作権意識の 変革でしょう。転載を禁止したり、再利用条件を明記してない 場合は少なくありません。 また、自分の著作を適当に変更したものを、オリジナルへの 言及を曖昧にしたまま再利用され、激しい感情的対立が発生することも めずらしくはありません。 フリーソフトウェアのように、コピーレフトに基づくライセンスや、 オリジナルへの言及と免責のみを述べれば再利用を自由に 認める、そういったライセンスが普及すれば、 明確な形で「COMMONS」性を打ち出すことが可能になります。 差分創作物のゆるやかな結合は、将来的に肥沃なCOMMONSへと結実するのか、 あるいは比較的コントロールの緩い時代にのみ許された 一時的な興隆に過ぎないのか。 それは、差分創作を行い、消費する私たち次第です。 == 参考文献 :[AH2001] 東浩紀『動物化するポストモダン』(講談社現代新書1575, ISBN4-06-149575-5) :[LL2001] ローレンス・レッシグ『CODE――インターネットの合法・ 違法・プライバシー』(翔泳社,ISBN4-88135-993-2) :[OT2000] 岡田斗司夫『オタク学入門』(新潮OH!文庫, ISBN4-10-290019-5) == 配布条件 本文書は、「BSDスタイル」のライセンスに従って利用できます。 Copyright 2002 TAKAHASHI 'Maki' Masayoshi All rights reserved. =end